豊かな土地で古くから人類の営みがあった島
SHIMA INFORMATION

中国エリア/ 広島県
生野島 いくのしま
- 面積
- 2.25㎢
- 人口
- 14人
- 観光スポット
- 福浦古墳、馬取海岸
- 特産
- ー
- アクセス
- 広島駅から白水港まで車で約2時間。白水港から生野島までフェリーで15分
生野島 ikunoshima
縄文時代には人が住んでおり 非常に深い歴史を持つ島
竹原市の中心部から南へ約4kmに位置する周囲約12.5kmの島。生野島は真ん中部分がくびれており蝶々のような形をしています。近年は年々島民が減っていますが、2000年前には人が居住していたことが分かっています。縄文・弥生時代の磨製石器や土器、横穴式石室などの遺跡・古墳群が合計21ヶ所発見されている貴重な史跡。特に、縄文時代の遺跡は大崎上島周辺だと生野島でしか見つかっておらず、周辺の島々の中では最も早くから人が住んでいたことが推測できます。また弥生時代以降は複数の遺跡から見つかった製塩土器を使って、塩を作っていたことが分かりました。人骨が発掘された箱式石棺を有する円墳「福浦古墳」は大崎上島町の文化財に指定されており、生野島は非常に長い歴史を持つ島なのです。また江戸時代、島内は牧草に富み、芸州藩が馬の放牧地として利用していたため馬島と呼ばれていました。島の南側にある「馬取海岸」は、この場所に馬を追い込んで集めて(取って)いたことから名付けられています。昭和7年には京都の僧侶、足利浄圓師が理想郷を作ろうと、生野島に来島。農地を開墾し、農業をしながら島民に仏教を説いて島ではコミュニティが作られましたが、戦争によって理想郷を作る活動は中止に追い込まれてしまいました。港の近くに「足利浄円先生之碑」が建てられており、浄圓師が島に尽力したことがうかがえます。現在はアマモという海草の群生地として環境学者にも注目されている生野島。港の反対側のくびれ部分にある「月の浦」をはじめ周辺海域は、魚の棲む海藻が多く生えており、幼い生命がそこで生まれ育つ、まさに「魚のゆりかご」です。
情報提供 / 大崎上島町地域経営課地域振興係